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旅行・地域

2015年11月 1日 (日)

サクセスの階段から393段目

今日は、当店のある湊神明社の説明を一席。


社伝によれば創建は、
白鳳期(飛鳥時代と天平時代の間ころ)とされています。


祭神は天照大神で伊勢神宮との関係が深く、
献納品がここに一旦保管され、
豊川の吉田湊より船にて搬送されたとのことです。


その後江戸時代には、境内に庭園と池が造営されて、
池の中の蓬莱之島に弁天像が鎮座された弁天社が建立されました。
これが、「築島弁天社」の名前に由来しています。


また、「おんぞ祭り」は、その昔には吉田の三大祭りの一つとされ、
伊勢神宮に白絹布を奉納する行事を祝して行われた祭りです。


参河国大野で精製された赤糸を遠江国三ケ日岡本郷で織り、
朝倉川・牛川を経て湊神明社へ運ばれてくるところを町民が出迎える祭りで、
江戸時代には吉田の町屋の娘たちが華やかな装いで踊り、
4日間街中を練り歩いたと伝えられています。


湊築島弁天社に芭蕉句碑が建ってます。
   「寒けれど 二人旅寝ぞ たのもしき」 芭蕉


以上、近くにお越しの折には、ぜひお気軽にお寄りください。
当店のばあちゃんが佃煮を安売りしてます。

2015年10月28日 (水)

サクセスの階段から392段目

今日は、当店の所在地である吉田宿の説明です。


吉田は鎌倉時代から、東海道の前身である鎌倉街道沿いの重要な町の1つ。
戦国時代末期には東三河の戦略拠点の1つとして 今橋城(のちの吉田城)が築かれ、
以後城下町として発展。


東海道が設定された当初からの宿場で、
江戸の日本橋より西方73里(約287km)に位置し、
東の二川宿とは1里20町(約6.1km)、
西の御油宿とは2里20町(約10.5km)離れており、
町並は23町30間(約2.6km)の長さがあった。


征夷大将軍の徳川将軍家の老中・大坂城代・京都所司代格の大名の吉田藩の所領であり、
吉田城城下町と湊町(吉田湊、船町)を合わせた宿場町であった。
      《この湊町に当店があります》


表町12町と裏町12町の計24町で宿を構成されており、
1802年には、本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠は65軒あり、
戸数は約1,000軒で人口は5,000から7,000人ほどであったそうです。


以上、今日はこんなところでお休みです。

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